世界初の露和語辞典を作った、鹿児島出身のゴンザ。

その和訳部分は薩摩言葉(鹿児島弁)で一部分書かれています。
我々鹿児島弁ゴンザ顕彰会はそのゴンザの鹿児島弁に着目。
ロシア後との兼ね合い、意味の分析、使い方や表現の分析など
深い考察を加え研究、顕彰する会です。

また、現地サンクトペテルブルク大学
ゴンザ研究の学生達メンバーとともにゴンザの足跡や
編纂された未発見の出版物の操作、および墓地の特定など
未解決部分を明らかにする活動も行っています。

ゴンザについて

ゴンザは鹿児島県北薩海岸出身の少年です。
ロシアのカムチャッカ半島に漂着しました。

乗っていた17人全員が生きのこったことを喜ぶゴンザ達でしたが
コサック(先住民)の襲撃にあいゴンザとソウザ以外は全員殺されてしまいます。

そのことを知ったロシア帝国の役人はゴンザ達を救出。

そしてゴンザ達は4年間かけて1万キロ先の
サンクトペテルブルクまで歩いて行くことになりました。

ゴンザ達はサンクトペテルブルクでアンナ女帝に謁見。

ロシア帝国からの依頼でその後
世界初の露和辞典「新スラブ・日本語辞典」を作成にとりかかります。

1万2千語を収録した「新スラブ・日本語辞典」を
2年かけて完成させました。

薩摩の1少年が世界で初めての露和辞典を完成させると言う
驚異的なことを成し遂げたのは薩摩の教育レベルが
いかに高かったかと言う証明にもなります。

しかし完成した翌年に21歳の若さで亡くなってしまいます。

ゴンザについて大きい画像を見る

ゴンザの足跡をたどる旅 第1回

2010年11月にゴンザ顕彰会の淵ノ上、種子田、両氏が
ロシアのサンクトペテルブルクへゴンザの調査に行きました。

目的はサンクトペテルブルク大学に交流をするきっかけを作りに行くこと。
ゴンザの編纂した世界初の露和辞典をこの目で見ること。
そしてゴンザの墓地を特定して御霊を日本へお連れすることです。

サンクトペテルブルク空港

ゴンザの墓については現地でも調査されたことがなく難航しました。

サンクトペテルブルク東陽研究所の所長と

サンクトペテルブルク東洋研究所や考古博物館、
サンクトペテルブルク大学の学生の協力を得て
考古博物館の資料からゴンザの墓地の情報を特定。

現在は一部公園となっている敷地で線香をあげ慰霊をしてまいりました。

ゴンザの御霊に花と線香、焼酎を添えました。
そして「ゴンザ殿なご待たっしゃげもした」と淵ノ上さんは泣き崩れました。

ゴンザフェスティバル

サンクトペテルブルクを訪問した翌年には
サンクトペテルブルク大学の教授と学生をお迎えして
ゴンザフェスティバルを開催しました。

当日は鹿児島弁劇によるゴンザの紹介。
サンクトペテルブルグ大学日本語学科のルイービン教授や学生を交えた
パネルディスカッションなど。盛大に開催されました。

ゴンザの足跡をたどるシベリア横断の旅 第2回

2013年8月ゴンザ顕彰会の事務局長 種子田氏と
サンクトペテルブルク国立大学の生徒2名とで調査に行きました。

目的はゴンザが歩いた1万キロをたどり足跡を探すことです。

調査ルート

空港

鉄道

主に鉄道で移動

調査の様子(オクサーナとファイナ)

調査の様子

調査の様子

資料

資料

 

西日本新聞に掲載されました!

8月17日の西日本新聞のゴンザを紹介する記事に
会長の種子田のインタビューが掲載されました。
ぜひご覧ください!

薩摩からロシアへ、世界初の露日辞典の著者・少年ゴンザを捜して|【西日本新聞ニュース】
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